9 3月

「覚えられているしあわせ」

昨日、私が20代の頃に名古屋で出会ったカナダの宣教師夫妻に再会した。彼は補聴器をつけていた。88歳…歳月の流れのはやさを感じた。連れ合いの方も80代であろう。私の敬愛する女性牧師が通訳する役割をになってくれた。
名古屋は私の青春時代を過ごした都市だ。よく彼はわたしが英語ができないことを知りながらも食事に誘った。そこではじめてピザと言う食べ物を知った。もう、40年くらい前の話である。彼からお呼びがかかったら英語の辞書を片手にでかけた。英語の辞書は役にたたず心と心の対話、存在と存在の対話であった。今回もそうであった。
彼は、東京にいる娘さんに会うのが目的でトロントから日本に来ていた。私を覚え私に再会することを願いわざわざ大阪まできてくれた。
本当に幸いなるかな…覚えられているしあわせをかみしめている私がそこにいた。
これが最後の再会となるかも知れないと思いながら短いひと時を共に過ごした。